SBSに関する酒井特別寄稿(研修860号)を読んで
酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」研修860号(2020年)17頁*1を読んで浮かんだ雑感をメモしておく。
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18頁8行
「……検事を退官して,現在は,弁護士として刑事弁護も行うなど,より中立的な物の見方ができるようになりました……」
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18頁10行
「検察に偏ることなくより広い刑事司法という一段高い視座で」
⇒本稿の「中立」性について疑問。後述。
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19頁8行
「私は,SBS検証プロジェクトができるかなり前から,脳神経外科医の方から,SBSを巡る外国の動きなどについての情報をいただいていたことがあり,……」
⇒SBS検証プロジェクトが立ち上げられたのは2017年9月。1990年代以降,米国,英国においては,たしかにSBS仮説に基づく訴追が増加した。しかしまもなく2000年代からは,SBS仮説への批判も強まり,2000年代後半以降,雪冤事例が増加することになる。
筆者が得た「SBSを巡る外国の動き」とはSBS仮説に基づく訴追を躊躇,慎重にさせるものを含むはずであるが,どうか。
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19頁19行
「……医師だけでなく.児童相談所職員,警察や検察官,さらには裁判官までもが,その不確実な理論*2を信じ切っているのではないかとも主張しています。でもこれは間違っています。」
⇒少なくとも近時,検察官が三徴候があれば訴追という単純判断をしていないと主張しているのは承知している*3。しかし,少なくとも過去の一定期間については,このような「信じ切っている」状態があったはずである。SBSえん罪被害者は,被疑者取調べにおいて,三徴候があることを根拠にして揺さぶりの自白を迫られている。
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19頁29行
「……裁判においても,三徴候が生じ得ると主張される他の原因についても検討を加えており」
⇒この後,「他の原因」が認められた無罪事例を挙げないのは「中立」ではなく,適切でないように思われる。
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19頁30行~20頁3行
大阪地判平成30.3.13判時2395号100頁を「丁寧」と評するくだり
⇒同判決は,大阪高判令和2.2.6裁判所ウェブサイト(LEX/DB25564778)により破棄されていることに注意*4。
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20頁4行
「……SBSの三徴候の有無が,裁判での有罪無罪を決める唯一絶対的な要素であるというような誤った考え……」
⇒記されているように,「誤った考え」であると思われる。
なお,弁護人は「誤った考え」であると再三断じてきたし,「誤った考え」に陥ってはこなかったことに注意。三徴候中心のSBS仮説の前に,被告人の動機の不存在等が気に掛けられない不当さが訴えられてきた。
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20頁18行
「弁護側としては,とにかく少しでも「疑い」を生じさせればよしとして(……)SBSの理論を否定する外国の文献を渉猟し,協力的な医師を探す……」
⇒至極当然の弁護活動をさげすむような表現に近接。
なお,低位落下により急性硬膜下血腫が生じるとするいわゆる中村Ⅰ型は,日本で生まれた業績。
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20頁24行
「……医師をあたかも有罪無罪を決める事実認定者のような立場に置いてしまいました。」
⇒医師の権限踰越の問題,すなわち,単に頭部外傷があるというにとどまらず,虐待による頭部外傷であると被告人の故意の存在についてまで医師が意見を述べることの問題性に注意が払われてこなかった。
被告人の故意、刑事責任についてまで医師に意見を述べさせてきたのは,検察ではなかったのか。
医師を事実認定者の立場に置いてきたのは,他ならぬ検察ではなかったのか。
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20頁25行
「医師の中に,……事実認定に踏み込むような発言をする医師が現れるようになったのも,その責任の一端は,私たち法律家にある……」
⇒刑事弁護人が「私たち法律家」の中に含まれるとは思われない。
この箇所の記述は、次の点を棚に上げている点で不当である:SBS仮説に基づくえん罪は,引用されている医師*5が登場する以前から,検察側医師が事実認定に踏み込むような発言をしてきたことも、一因として起こっている。
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20頁32行
「……本稿の目的は,SBSを巡る論争について軍配を上げることではない……」
⇒「中立」をよそおうが,本稿が訴追機関側に軍配を上げていないか,疑わしい。
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21頁3行
SBS検証プロジェクトはAHT共同合意声明を紹介していない,とするくだり
⇒明らかな誤り*6。
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21頁13行
「医師を有罪無罪を決める司法の最前線に巻き込んでしまった私たち法律家」
⇒前述のように問題があるように思われる。
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22頁13行以下
「検察側の医師証人に対する弁護人の反対尋問のテクニック」
⇒金岡繁裕弁護士がコメントされている。
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23頁6行
「裁判員を「わからなく」させて無罪を勝ち取ろうとするやり方は,裁判に対する国民の信頼を損ないかねない」
⇒弁護人が裁判員を「わからなく」させて無罪を勝ち取ろうとしているかに大いに疑問*7。
また、「中立」を謳う本稿がここまで弁護人の活動を論難するなら,同時に,検察が有罪を「勝ち取ろう」とするやり方に問題がないかどうかも,同じように検討されるべきであるように思う。
「……判決を見ると,どちらの意見*8を採るべきかの苦悩と逡巡が見て取れます。」
⇒判決文のどの箇所に「苦悩と逡巡」があらわれていたか。
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24頁14行
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医師の経験と信頼性に関するくだり
「(判決の内容を分かりやすく単純化してあります。以下も同様)」
⇒断り,紙幅の制限があるとはいえ,不当な要約と思われる。臨床件数のみに基づいてC医師証言の信用性が否定されているわけではない*9。
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25頁7行目
「……イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師の論文に依拠した上」
⇒同医師はウェイニー・スクワイア医師(Waney Squier)であると思われる。
スクワイア医師が証言停止処分を受けたことは事実であるが,この点だけを取り上げるのは「中立」性に欠ける。
スクワイア医師はSBS仮説の支持者として検察側証人をつとめられてきた。しかしSBSの診断に疑念を抱き,SBS仮説を支持しなくなっただけで,英国医事委員会に通報され,医師免許を剥奪される。
もっとも,この医師免許剥奪の判断は控訴院で破棄され,医師免許は回復されている。スクワイア論文は,検察が信用性を争ったというだけで,臨床が認められている医師の論文である*10。
*1:初出は子どもの虐待とネグレクト21巻3号287頁。同特別寄稿は、一部加筆修正されたもの。
*2:SBS理論を指している。
*3:朝日新聞,2019年10月23日,朝刊24頁,ほか多数。
*4:理由:第3:2:ウ(裁判所ウェブサイトの判決文11頁以下)の箇所において,ミルク誤嚥及び窒息の可能性を否定した原審の分析及び考察に賛同できない理由が敷衍されている。
*5:柳原三佳『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(講談社、2019.3)157頁。
*6:SBS検証プロジェクトのブログ。
*7:SBS仮説が争われた、傷害致死被告事件の裁判に参加した裁判員(経験者3番さん)の声として、大阪地裁:裁判員経験者の意見交換会議事概要(平成30年10月12日開催分)。
*8:①暴行により頭部に強い衝撃を受けたためとするものと,②そのような外力でなく内因性の病気(脳静脈洞血栓症)による可能性があるというもの(丸番号引用者)。
*10:スクワイア医師に起きたことについては、さしあたり、A Call for More Scrutiny in Cases of Shaken Baby Syndrome | Waney Squier | TEDxWandsworth - YouTubeを参照。
手続法から見た死刑制度の存在不可能性
昨日、天満橋のドーンセンターで、アムネスティ主催の笹倉香奈先生の講演を拝聴しました。
題目は「死刑事件と適正手続:アメリカの状況を中心に」。先生はえん罪救済センター(IPJ)やSBS検証プロジェクト(SRP)で著名でいらっしゃいます。
DNA鑑定ほかによる数々の雪冤事例がもたらす「イノセンス革命」から、死刑制度自体の衰退、また死刑制度存置州においても実践される、日本とは比較にもならない手厚い手続保障(「スーパー・デュー・プロセス」)について、詳しい説明を頂きました。
死刑が「特別」な刑罰であることに異論がないならば、その手続保障についても、とりわけ「特別」なものでなければならないという論には完全に説得されました。
日本の裁判所は死刑が「特別」であること自体に異論なしとしながらも*1、ほとんど手続上の配慮をしてこなかったわけです。いわゆる永山基準や、上告審における慣例的な口頭弁論くらいで。
しかしそれではいけないでしょうという話です。私自身は誤判・えん罪だけが死刑廃止の手がかりとは考えてはいませんが、しかしその要素はやはり非常に重要なパートを占めています。究極の刑罰には究極の手続が用意されてしかるべきであると。何重にもチェックがあるべき。
死刑を判決で宣告する・死刑を執行するについてその手続が適正化されなければ、まずは執行停止をすべきである。また、結局のところ適正化が不可能なのであれば、死刑制度そのものを廃止すべきである(「外見的には中立的な死刑廃止論」)。私も今日からこう強く主張しようと思います。米国の歩んだアプローチは大変新鮮でありました。
日本の死刑廃止運動も、米国の実践に是非とも学ぶべきところが多いと考えます。とりあえず想起されるのは、日弁連はじめ単位会弁護士会が死刑廃止を高らかに掲げても、犯罪被害者支援に尽力されている先生方はじめ、「死刑廃止は全弁護士の総意ではない。むしろほんの一部」ということがよく言われたりされます。
対して米国法曹協会(American Bar Association, ABA)は、死刑制度そのものには中立(!)の立場であると。一日も早く死刑という蛮行はやめるべきであるとしても、まずは手続保障だ! と日本の法律家たちも運動しうるのではないでしょうか(もうされている?)。
そもそも死刑事案になるかどうか検察の論告まで分からず、適切な死刑弁護ができない可能性。死刑執行へのプロセスの秘密性。執行自体に対する不服申立て制度の不存在。再審請求中の死刑執行。そのほか、日本の死刑制度における手続保障については、課題が山積みです。
米国の制度において特に印象的だった点について。
第1に、減軽専門家(mitigation specialist)の存在です。
死刑が究極の刑罰である点に鑑みて、死刑事案においては、えん罪はもってのほか、また、仮に有罪であるとしても死刑相当事案ではないのに死刑が宣告されること(「量刑誤判」)を、特に慎重に回避しなければなりません。
さて日本では、行為責任主義・犯情主義の反射的帰結の一つとして、一般情状がほとんど(?)考慮されない状況にあります。米国はそうではありません。減軽専門家が活躍します。減軽専門家は、法律家ではなく、ソーシャルワークの修士号・博士号取得者が中心です。つまり、貧困・ネグレクト・虐待についての知識を持っています。彼らは被告人のライフヒストリーに関連する「すべて*2」の記録を収集して、被告人が刑事被告人であるということ以前に、ひとりの人間であることを法廷に顕出するという任務を背負っています。量刑誤判回避に向けた強力なシステムであることは疑いありません*3。
第2に、「9段階の審理」です。
日本では、第1審、控訴審、上告審の3審制が採られています*4。いわば3段階です。
米国では、日本と同様に通常審の3審に加え、①州レベルでの人身保護請求、これに2回の上訴が許され(+3段階)、さらに②連邦レベルでの人身保護請求、ここでもこれに2回の上訴が許されています(+3段階)。9段階も、死刑判決をチェックするシステムなのであります。手厚い!
実際にこの9段階中に死刑から自由刑に減軽されるケースが相当数あるようです。
また米国では、自動的な直接上訴制度があり、日本のように死刑判決の控訴を被告人自身が取下げて確定させるということは起き得ません。
そのほかにも、「手続二分」や、米国においては死刑事件の弁護の質が高いこと、等々等々、米国が手続的権利を十分に保障しようとしてきたことがひしひしと伝わってきました。あたるべき書籍・論稿もたくさん紹介していただきました。後日加筆するかもしれません。
アムネスティの会員ではないのですが、僭越ながら講演後の質疑応答で以下の質問を出しました。フロアの貴重な時間を頂き、誠に恐縮でした。
1.陪審制度においては陪審員は有罪・無罪(guilty・not guilty)の評決のみに関与すると理解していたが、死刑事件においては陪審員が事実認定だけではなく死刑の判断に携わる(すなわち量刑も行う)のはどうしてなのか。スーパー・デュー・プロセスの保障の一環として、採り入れられたものなのか。
2.一連の「イノセンス革命」で死刑確定者156名を含めた2,400名が雪冤を果たされたというのは衝撃を受けた。この156名の中には、かつての英国でそうであったように、また日本でも飯塚事件がそうであると強く指摘されているように、既に誤って死刑が執行されてしまった者も数に含まれているのか。含まれていたとすれば、それが公とされて、米国における死刑廃止の動きに直接的に影響したのか。
この記事の締めくくりに、最新の死刑制度のモラトリアムを宣言したカリフォルニア州知事ガビン・ニューサム Gavin Newsom のコメントのビデオを掲げます。カリフォルニアには全米最大、全確定者の4分の1に相当する、737名の死刑確定者がいますが、彼らに対する死刑執行が停止されることになります。これは非常に大きなインパクトを持つモラトリアム宣言であるのです。
"ENDING DEATH PENALTY: California Governor Gavin Newsom Ends Capital Punishment"