刑事司法と折々の随想

ロースクール生が見つめる日本の刑事司法。

手続法から見た死刑制度の存在不可能性

昨日、天満橋のドーンセンターで、アムネスティ主催の笹倉香奈先生の講演を拝聴しました。

題目は「死刑事件と適正手続:アメリカの状況を中心に」。先生はえん罪救済センター(IPJ)やSBS検証プロジェクト(SRP)で著名でいらっしゃいます。

 

DNA鑑定ほかによる数々の雪冤事例がもたらす「イノセンス革命」から、死刑制度自体の衰退、また死刑制度存置州においても実践される、日本とは比較にもならない手厚い手続保障(「スーパー・デュー・プロセス」)について、詳しい説明を頂きました。

死刑が「特別」な刑罰であることに異論がないならば、その手続保障についても、とりわけ「特別」なものでなければならないという論には完全に説得されました。

 

日本の裁判所は死刑が「特別」であること自体に異論なしとしながらも*1、ほとんど手続上の配慮をしてこなかったわけです。いわゆる永山基準や、上告審における慣例的な口頭弁論くらいで。

しかしそれではいけないでしょうという話です。私自身は誤判・えん罪だけが死刑廃止の手がかりとは考えてはいませんが、しかしその要素はやはり非常に重要なパートを占めています。究極の刑罰には究極の手続が用意されてしかるべきであると。何重にもチェックがあるべき。

死刑を判決で宣告する・死刑を執行するについてその手続が適正化されなければ、まずは執行停止をすべきである。また、結局のところ適正化が不可能なのであれば、死刑制度そのものを廃止すべきである(「外見的には中立的な死刑廃止論」)。私も今日からこう強く主張しようと思います。米国の歩んだアプローチは大変新鮮でありました。

 

日本の死刑廃止運動も、米国の実践に是非とも学ぶべきところが多いと考えます。とりあえず想起されるのは、日弁連はじめ単位会弁護士会死刑廃止を高らかに掲げても、犯罪被害者支援に尽力されている先生方はじめ、「死刑廃止は全弁護士の総意ではない。むしろほんの一部」ということがよく言われたりされます。

対して米国法曹協会(American Bar Association, ABA)は、死刑制度そのものには中立(!)の立場であると。一日も早く死刑という蛮行はやめるべきであるとしても、まずは手続保障だ! と日本の法律家たちも運動しうるのではないでしょうか(もうされている?)。

そもそも死刑事案になるかどうか検察の論告まで分からず、適切な死刑弁護ができない可能性。死刑執行へのプロセスの秘密性。執行自体に対する不服申立て制度の不存在。再審請求中の死刑執行。そのほか、日本の死刑制度における手続保障については、課題が山積みです。

 

米国の制度において特に印象的だった点について。

第1に、減軽専門家(mitigation specialist)の存在です。

死刑が究極の刑罰である点に鑑みて、死刑事案においては、えん罪はもってのほか、また、仮に有罪であるとしても死刑相当事案ではないのに死刑が宣告されること(「量刑誤判」)を、特に慎重に回避しなければなりません。

さて日本では、行為責任主義・犯情主義の反射的帰結の一つとして、一般情状がほとんど(?)考慮されない状況にあります。米国はそうではありません。減軽専門家が活躍します。減軽専門家は、法律家ではなく、ソーシャルワーク修士号・博士号取得者が中心です。つまり、貧困・ネグレクト・虐待についての知識を持っています。彼らは被告人のライフヒストリーに関連する「すべて*2」の記録を収集して、被告人が刑事被告人であるということ以前に、ひとりの人間であることを法廷に顕出するという任務を背負っています。量刑誤判回避に向けた強力なシステムであることは疑いありません*3

第2に、「9段階の審理」です。

日本では、第1審、控訴審、上告審の3審制が採られています*4。いわば3段階です。

米国では、日本と同様に通常審の3審に加え、①州レベルでの人身保護請求、これに2回の上訴が許され(+3段階)、さらに②連邦レベルでの人身保護請求、ここでもこれに2回の上訴が許されています(+3段階)。9段階も、死刑判決をチェックするシステムなのであります。手厚い!

実際にこの9段階中に死刑から自由刑に減軽されるケースが相当数あるようです。

また米国では、自動的な直接上訴制度があり、日本のように死刑判決の控訴を被告人自身が取下げて確定させるということは起き得ません。

 

そのほかにも、「手続二分」や、米国においては死刑事件の弁護の質が高いこと、等々等々、米国が手続的権利を十分に保障しようとしてきたことがひしひしと伝わってきました。あたるべき書籍・論稿もたくさん紹介していただきました。後日加筆するかもしれません。

 

アムネスティの会員ではないのですが、僭越ながら講演後の質疑応答で以下の質問を出しました。フロアの貴重な時間を頂き、誠に恐縮でした。

1.陪審制度においては陪審員は有罪・無罪(guilty・not guilty)の評決のみに関与すると理解していたが、死刑事件においては陪審員が事実認定だけではなく死刑の判断に携わる(すなわち量刑も行う)のはどうしてなのか。スーパー・デュー・プロセスの保障の一環として、採り入れられたものなのか。

2.一連の「イノセンス革命」で死刑確定者156名を含めた2,400名が雪冤を果たされたというのは衝撃を受けた。この156名の中には、かつての英国でそうであったように、また日本でも飯塚事件がそうであると強く指摘されているように、既に誤って死刑が執行されてしまった者も数に含まれているのか。含まれていたとすれば、それが公とされて、米国における死刑廃止の動きに直接的に影響したのか。

 

この記事の締めくくりに、最新の死刑制度のモラトリアムを宣言したカリフォルニア州知事ガビン・ニューサム Gavin Newsom のコメントのビデオを掲げます。カリフォルニアには全米最大、全確定者の4分の1に相当する、737名の死刑確定者がいますが、彼らに対する死刑執行が停止されることになります。これは非常に大きなインパクトを持つモラトリアム宣言であるのです。

"ENDING DEATH PENALTY: California Governor Gavin Newsom Ends Capital Punishment"

youtu.be

 

*1:最大判昭和23・3・12刑集2巻3号191頁[LEX/DB27760012]、最決平成27・2・3刑集69巻1号99頁[LEX/DB25447048]など。

*2:被告人の学校の担任の教諭、はては被告人をとりあげた産婦人科医(!)までが調査、インタビューされる。

*3:この大変興味深い減軽専門家について、丸山泰弘「判決前調査とその担い手:Mitigation Specialist(減軽専門家)の視点」『浅田和茂先生古稀祝賀論文集[下巻]』699頁(2016)を読んでみる予定です。

*4:最高裁の上告棄却判決に対する訂正申立て(刑事訴訟法418条、同415条)も最後の不服申立て手段として存在する。